「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」感想


 「バベル」アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督(兼脚本・製作)バットマンマイケル・キートン主演。かつてヒーロームービーで一世を風靡したものの、その後は泣かず飛ばずの俳優人生を送ってきた男が、再起をかけてブロードウェイの舞台劇に挑む。

 奇抜な手法というものは、得てしてそれだけで批判の対象となってしまい、事実その多くは、出オチだけで中身の伴わない、いわゆる「一発ネタ」に終わる場合がほとんど。本作になぞらえるなら6年ほど前、全尺85分を全てワンカットで撮り切るという、前代未聞の作品がリリースされたものの、正直、内容がそれに追いついていない、非常に残念な仕上がりであった。

 そもそも、二つのシーンを一本に繋げ、ワンカットに見えるという技法は、実は思いのほか昔から存在していたりする。有名なところでは、松田優作主演「最も危険な遊戯」のクライマックス、テープの録画時間ギリギリまで撮り、柱の影で一瞬画面が真っ暗になった瞬間、もう一台のキャメラに切り替える事で、擬似的なロングカットの撮影に成功している。撮影したキャメラマンの手腕もさる事ながら、テープ交換のタイミングを逆算しつつアクションをこなす松田優作の天才的センスも伺える、日本映画界の伝説的エピソードである。

 随分と前置きが長くなったが、さておき。では本作はどうか。全体尺の9割以上を、巧みなキャメラワークと照明、そして編集技術を駆使し、各シーンをあかたもワンカットのように繋げて観せるという、実に大胆且つ実験的な構成は、確かに多くの映画ファンの衆目を集めたものの、その部分のみがこの映画の本質ではなく、むしろ、本作が語らんとするテーマを十全に、雄弁に物語るための最善策として、この手法が取り入れられただけに過ぎないと断じておきたい。

 一度はスター俳優として地位と名声を手に入れながら、20年以上も燻っていたどん底の男が、もう一度脚光を浴びるために孤軍奮闘する姿を、狂気にも似たリアルと幻想とが入り混じった映像で描写。ありとあらゆる事が予期せぬ方向に向かっていくその内側のジレンマ、焦り、怒り、憔悴を、時に震えるほどの鮮烈に、冷淡に、スクリーンへと曝け出している。
 上記した擬似ワンカット(勝手に命名)を用いる事で、ジェットコースターよろしくストーリーをスリリングに展開させると同時に、失敗の許されない状況で何一つ上手く行かない、どん底からまたさらにどん底へと突き進んでいく非情で無常な現実を、残酷なまでに巧みに表現してみせてくれた。

 主演のマイケル・キートンが、また素晴らしい。冒頭の、ダブダブのブリーフ一丁で禅を組みながら空中に浮いているという、極めてシュールな姿にはじまり、あえて徹底的に無様に、惨めに、カッコ悪く演じる事で、周囲に嘲笑されながらも諦念に必死に抗い、空回る男を哀愁を完璧以上に表現する渾身の仕事ぶりには、ただただ脱帽。
 エドワード・ノートン演じる才能溢れる舞台俳優との対比が、限界と旬をとうに越えた男の絶望を、さらに際立たせる事にも成功していると評したい。
 鑑賞前は「どうしてこんなところに括弧がついてるんだ?」と首を捻った不思議なタイトルも、「バードマン=理想だが受け容れがたい自分」「あるいは=現実の情けない自分」を、的確に現す、見事なネーミングでグッド。

 果たして、彼は本当に超能力者なのか、あるいはただの妄想なのか。おそらくそんな事は、まったく重要ではない。男が学生の頃から持っていた紙と、「あなたは有名人であって、俳優じゃないわ」というセリフに象徴される、死に物狂いで手を伸ばしたモノは掴めず、必死で守ってきたモノは指の間からすり落ちる、全てがアイロニックで、不条理で、理不尽だらけの俳優人生の果て、全てを失った男が最後に辿り着いた場所をどう捉えるか。本作の要点は、ここに集約されると察するが、如何だろうか。

 上質な文学作品を思わせる雰囲気を漂わせつつも、血の滾るような熱量をも内包した傑作。たまーにこういう作品に出逢えるから、映画は面白い。


 ちなみに、某パラノーマルなんとかよろしく、同じような手法を真似して撮っても、中身が伴わなければ何やってもクソみたいな駄作にしかならないから、早速パクろうと思ってる人は注意ね(鬼)。

 ☆☆☆☆★

 ところでマイケル・キートンって、元々コメディアンだったらしいぜ。星4つ!!

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