「蜩ノ記」感想


 第146回直木賞を受賞した葉室麟原作の時代小説を、「雨あがる」小泉堯史監督「渇き。」役所広司×天地明察岡田准一主演で映画化。不義密通の罪で十年後の切腹を命じられた元勘定奉行と、彼の監視役を命じられた男の姿を通じ、人としての誇りと正義のあり方を問う。

 聞けば本作、映画用フィルムの製造減少に伴い、おそらく国内最後のフィルムで撮影された映画作品になるとの事。そのためか、舞台となった岩手県の風光明媚な景色、季節ごとに表情を変える木々の色彩など、デジタルでは再現しきれない(のかどうかは分からないが)自然で温かみのある絵が全編に続き、それだけでも見応えアリ。
 シンプルながら、単純な損得勘定や保身ではない、人間の心が持つそのものの美しさ、身分や生まれに左右されない生命の重さ、そして自分自身の生と死の向き合い方を丁寧に、しかし力強く訴える物語とうまく相乗し、観る者の胸に静かに、熱く語りかけてくる。

 主人公・戸田秋谷演じる役所広司が、またいい仕事。妻子とともに山村に幽閉され、藩主である三浦家の家譜の編纂と、10年後の切腹を命じられながら、全てを受け容れ、覚りの境地に達したかのように、常に微笑みを湛える元勘定奉行を好演。たとえ泥を被ろうとも、己に恥じない生き様を貫こうとするその様は、まさに「義を見てせざるは勇無きなり」の具体。ためにクライマックス、彼が取った意外な行動には心底驚くとともに、人間の根底に備わる美意識と矜持を体現したかのようにも思え、晴れやかな感銘と爽快感を覚えた。

 少し前に、自分の娘を「ぶっ殺してやる!」と叫び散らしていたシャブ中の元刑事を演じていた方と同一人物とはとても思えないが(笑)、それだけ卓越した演技力の持ち主という事なのだろう。正直、日本の映画は役所氏西田敏行笹野高史で何とか持ちこたえていると言っても、過言ではあるまい(ソウカ?)。

 もう一人の主人公である、監視役として秋谷の元にやってきた元羽根藩奥祐筆・檀野庄三郎演じる岡田准一くんも、実に素晴らしい。
 秋谷の生き方を当初訝るも、徐々にその人柄と潔さに感化され、絶対にやらないと豪語していた畑仕事を一緒に手伝うまでに変化する心の機微を、見事に表現。撮影の前から道場に弟子入りし、習得したという居合の型も相俟って、某軍師とはまた違った風格と魅力を、見せてくれた(いや、実は観てないんだけど…)。

 個人的には、吉田晴登演じる秋谷の息子・戸田郁太郎にも注目したい。尊敬する父の切腹を知り、ショックを受けながら、庄三郎との交流で徐々に成長、最後には兄弟のような関係(実際、義理の兄弟になるのだが)になっていく過程が、のちの展開も含め、物語によりよい刺激と深みを与えている。


 欲を言うなら、なぜ秋谷があそこまで超人のごとく清廉な男なのか、そのバックボーンを多少なり見せてほしかったところ。論語読みの論語知らずという言葉もあるし、まさか四書五経を学んだだけで、あんな聖人君子が誕生するはずはあるまい。だったら、今頃例の国は聖人だらけになっていないと話しが合わない。

 それから、これは小生の勘が悪いだけかもしれないが、そもそも秋谷に課せられた不義密通の罪、その渦中にある「あの人」は、事件の核心となる真相を知っていたのではないのか。ネタバレになるので詳しくは書けないが、自分自身の事ぐらい、わざわざ調べなくても自分で分かっていたのでは?あの辺が、いまいちスッキリしなかったので、どなたか解説お願いいたします。


 さておき。
 かつてインディアンの戦士達は、戦いに赴く際「今日は死ぬにはいい日だ」と雄叫びを挙げたという。それは、今日出来うる限りの精一杯、最善を尽くす事ができたのなら、それに勝るものはないと、小生は勝手に解釈している。
 中には、どんな理由でも切腹はよくない、命を粗末にするな!と頓狂な事を言う輩もいるかもしれないし、それもまた正論ではあるのだが、範馬刃牙の台詞にもあるように、本当は死ぬのにいい日などない、いつだって今日という日を生きるしかない、つまりは、限りある命が尽きるまで、自分に恥ずかしくない生き方をしなければならない、神に与えられた命(こういう表現は好きではないが)なら、それを余すところなく、できれば誰かの幸せのために使い切るべきではないのかと、本作は説いているように感じた。

 それこそ勝手な思い込みかもしれないのは重々承知の事として、景色や風情も含め、日本と日本人本来の美しさを改めて垣間見せてくれる一本であるのは、間違いないと断ずる。こういう良質な作品をもっと撮るためにも、日本映画界は福本清三人間国宝に認定すべき(ナンデ?)。


 ☆☆☆★★+++

 意外と、殺陣のシーンもいいんです。星3つプラス3つ!!