「ロボコップ」(2014年版)感想


 1987年公開、世界中で大ヒットしたSFアクションを、ドキュメンタリー出身のジョゼ・パジーリャ監督「イージーマネー」ヨエル・キナマン主演でリブート。瀕死の重傷を負った熱血警官が、残された身体の一部と機械を融合したスーパーマシンロボコップとして復活。企業と警察、犯罪組織ら様々な思惑が交錯する中、愛する家族と街の平和を守るため、戦い続けるが…。

 オリジナル版はトータル・リコール」「氷の微笑」「スターシップ・トゥルーパーズで知られる、巨匠ポール・バーホーベン監督作品。その硬派なSF設定と、日本の特撮ヒーロー宇宙刑事ギャバンを参考にしたというデザインが話題となり、今なお人気の高いシリーズである事は、もはや説明不要のところと察する。

 四半世紀以上の時を経て、そんな大ヒット作をよせばいいのに現代風にアレンジしての再映画化となる本作。映像技術及び情報化が、当時とは比べ物にならないほど向上したためか、各種マシン、ギミック類はより説得力のある、リアリティを感じさせるモノになり、ロボコップのボディも、無骨で鈍重なイメージが強かったオリジナル版のエッセンスを残しつつ、より洗練された、近未来を思わせるスタイリッシュなデザインに進化している。

 また、圧倒的な戦闘能力と膨大なデータベースに加え、街中に設置された防犯カメラから瞬時に犯罪を見つけ出す捜査力を兼ね備えた、まさに最強の警察官ともいうべき高性能マシンボディを持ちながら、生身の部分は首から上と心肺機能と右手だけという、哀しいほどに脆弱な存在である自身の、人としてのアイデンティティに苦悩する姿も実に秀逸。
 街の平和を守る使命を帯びながら、実情は世論を煽り、企業の利益を確保する道具として扱われる状況や、そんな彼を慮りながらも、上から言われるままにマーフィー=ロボコップを戦闘マシンへと変貌させていくゲーリー・オールドマン演じるデネット博士、そして夫の身を案じながら、いつしか事態に巻き込まれていく アビー・コーニッシュ演じるマーフィーの妻クララと二人の幼い息子と、ある種の二面性・相反性を帯びたそれらの要素が複雑に絡み合い、どこか哲学にも似た人間ドラマを見事に形成している点にも注目したい。

 が、ではこれが物凄い面白い、オリジナルに負けず劣らずの大傑作かというと、さにあらず。確かに上記したとおり、傑作になりえる条件はそれなりに整ったはいたものの、如何せん全てにおいてバランスが悪く、とてつもなく凡庸な内容になってしまっていた観は、正直否めないところ。
 前半、昨今のヒーローものにありがちなビギンズストーリーは、とにかく冗長で退屈。後半、職場復帰した辺りから多少持ち直すものの、特に驚きも目新しさもない、どっかで見た事あるようなないような展開もパッチワークで、せっかくのマイケル・キートンティム・バートンバットマンの人)と、ジャッキー・アール・ヘイリーウォッチメンロールシャッハの人)の登場も、分かりやすいぐらい分かりやすいいかにもな悪役で、捻りもヘッタクレもなし。
 何より、肝心のアクションシーンがまるでなっちゃいないのは、痛すぎるマイナスポイント。マシンらしい機敏で正確な動きといい、人間らしい生気や野性味といい、まるで中途半端で、ここでもまた、どっかで観たようなアクションの連続。迫力面もいまいちで、あれなら仮面ライダートッキュウジャーの方がまだマシ。
 ついでに言うなら、ロボコップの黒を貴重としたボディのせいで、暗い場所で戦ってると何が何だかさっぱり分からなくなるという、一体アナタ達は何度同じミスを繰り返せば学習できるんですか?ってぐらいの定番ボケをぶちかますお茶目っぷり。バイザーの目の光や、マズルフラッシュをもっと利用すれば、もう少しまともになったはずなのに、実にもったいない。


 元が傑作であればあるほど、リブートものがオリジナルを越えたためしはないが、それでも次から次へとこういった作品が製作されるというのは、どこかでそれなりの需要があるのか、それとも単なるネタ切れなのか。例によってどうやら続編を作る気満々のようだが、次は元相棒がマーク2にでもなるか、アメリカ全土に量産型ロボコップが配備されるのかはともかく、よほどしっかり作らないと、いい加減観客もそっぽを向くんじゃないかと、勝手に心配になってしまうのは、小生だけか。

 ところで冒頭、中東でロボットに自爆攻撃仕掛けてたあいつらは、一体何だったんだろうか。サミュエル・L・ジャクソンをキレさせただけ?あの番組も、アメリカの暗部を象徴しているように思えて、うまく機能してなかったし…。


 ☆☆☆★★

 今回はこれといってコメントなし、星3つ!!