「映画ドキドキ!プリキュア マナ結婚!!?未来につなぐ希望のドレス!」感想


 仮面ライダー」「スーパー戦隊同様、毎年恒例となった東映プリキュア映画シリーズ第15弾。人々を過去の世界に閉じ込め、未来を奪おうとする謎の男・マシューの野望を阻止すべく、キュアハートたちが奮闘する。


 いい意味でも悪い意味でも、単純明快にまとまっているという印象。捨てられたモノ達の恩讐を纏うマシューとの戦いや、今は亡きマナさんの祖母・いすずさんと愛犬マロとの思い出等、劇場版らしい数々の見せ場を持たせつつ、対象年齢を考慮して咀嚼された、非常に観やすい内容。しかしそのせいか、説明不足な点、あるいは腑に落ちない部分も多く、今後の作品作りに課題を残す格好となってしまった観も正直否めない。

 現在・過去・未来を行き来してのストーリー展開、それにともなく各エピソードは確かに感動的であり、特にクライマックスの一連の流れは、子を持つ親の世代なら感涙必至に違いないところと察するものの、その一つ一つの繋がりがやや薄く、それぞれポツンと孤立しているように思えた。
 例えば、いきなりタイトル全否定な言い方であるが、祖母の代から受け継いだウェディングドレスと、未来でのマナさんの結婚式の件。時代を越えて受け継がれていく心を表す、実に象徴的な要素であるものの、物語にうまく乗れていたとはお世辞にも言いがたく、どこか本筋とは別のベクトルで進んでいるような感覚。物語のキーとなる、お婆ちゃんマロとの関連も決して浅くはなく、根源的なところではストーリーの中心と言えなくはないのだが、どこか出力方法を間違えたとでも言おうか、素材をうまく生かし切れなかった印象を受けた。

 また、捨てられたモノ(=過去?)というテーマを孕み、且つマナさん以外のメンバー個々人の掘り下げをも多少垣間見せながら、やはりそこにはほとんど触れられる事なく、点のまま放置されていたのも、痛いマイナスポイント。複雑さを避けたのか、はたまた尺の都合か(ちなみに本作、歴代のプリキュア映画の中でも最長上映時間なんだとか)、まるで本来「ここまで観せるべき」と思われるエピソードが、ゴッソリと抜け落ちているような具合。ために全体の進行が若干駆け足気味で、ところどころにご都合的な展開も。六花さんのピアノや、ありすさんの熊のぬいぐるみも、上手に使えばいくらでも物語を広げる事ができたはずなのに完全スルーとは、なんとも勿体無い。

 ネタバレにつき詳しくは書けないが、真のラスボスに関しても、なぜヤツが人間を憎むようになったのか、なぜあの姿なのか、どこであの力を得たのか、結局語られないままなのは如何なモノか。何も一から十まで全部話せとは言わないが、あれではただの悪いヤツで、それ以上でもそれ以下でもない。これまでもそういう敵がいなかったわけではないにせよ、どんな相手でも受け入れ、友達になろうと務める事を美徳とするプリキュアだけに、ほんの僅かでも救いと赦しがほしかったところ。

 こういう事を書くと各方面から各方面から怒られてしまいそうだが、そもそも本作、「ドキプリ」の劇場版として公開する必然性があったのだろうか。マナさんの名前の由来や、過去世界での一連は確かに感動的ではあるし、それを否定するつもりは毛頭ないのだが、本来のテーマである「博愛」、あるいはメンバーそれぞれの成長譚等、もっと相応しい物語があったのではないかと、勝手に思ってしまう。
 年二回のペースで劇場作品を制作するスケジュールの関係上、どうしても「やれる事は全部やる」というわけには行かないのかもしれないが、せめて「この作品だからこそ、このエピソードをやる意義がある」と思わせれてくれる内容にしていただきたいと、偉そうなのは重々承知の上でお願い申し上げる。


 とまあ、ここまで結構ボロクソに書いてしまったが、チビッコを連れて何も考えずに観る分には、何ら問題のない出来。今回はアクションシーンにもかなり気合が入っているので、その辺も注目。

 しかしマナさん、既に六花さんという嫁がいるのに、堂々と結婚とはどういう料簡だ。後に内閣総理大臣の椅子に座る御仁が重婚などと、とても考えにくいが、彼女が首相になった未来世界では、一夫多妻が認められているのだろうか。という事は、官邸内は六花さん正室とした、ちょっとした大奥状態に(以下は妄想の垂れ流しにつき割愛)。


 ☆☆☆★★+

 でも一番のセールスポイントは、杉山佳寿子さん久々のアニメ出演かも(笑)、星3つプラス!!

 ところで余談。常々思う事だが、こうした児童向け作品は、チビッコ達に合わせて必要以上に咀嚼せずとも、ある程度理解できるかどうかギリギリのところまでハードルを上げても良いのではないか。もちろん、子供の頃から単純明快な勧善懲悪の精神を伝えるの大事だが、世の中のその二極では割り切れない部分、あるいは視点によって見えてくるもの違いを教えるのも、同じぐらい重要だと小生は考える。
 それも含め、今観ているモノをその時理解できずとも、成長し、場合によっては自分が親になる頃、ふと何かの拍子に思い出す、または自分の子供に観せるためにもう一度観返した時にふと気づく、そんな作り方があっても良いではないだろうか。世代を超えて愛される作品とは、まさにそういうモノを指すのだと思うが、いかがだろうか。