「バケモノの子」感想


 サマーウォーズ」「おおかみこどもの雨と雪細田守監督最新作は、ひとりぼっちの少年・九太と、暴れん坊のバケモノ・熊徹との、奇妙な師弟関係と絆を描く新冒険活劇。

 良い点、悪い点ともに細田監督らしい内容。意見が両極端に分かれる前作同様、本作もまた絶賛と酷評の真っ二つと察するが、個人的見解としては、環境のせいか題材のせいか、監督本来の実力の半分も出せてなかったのでは?と勘ぐりたくなる出来だった。

 ストーリーそのものは、決して悪くない。全体の雰囲気としては、千と千尋ベスト・キッドをいいとこ取りして、オリジナル要素を加えた感じ、とでも言おうか(異論はあろうが)、人間の男の子・九太(蓮)を主軸にしつつ、熊徹との単純な師匠と弟子、育ての親と子供の関係を越え、いつの間にか反発しながらお互い足りないものを埋め合い、ともに高め合っていく、いわば兄弟や親友にも似た絆で結ばれていく過程は、非常に好印象。
 また、熊徹に限らず、ヒロインのや、ライバル(?)の一郎彦、あるいは実の父親等、各章ごとに比較対象のようなキャラクター、言うならば「もう一人の九太」を登場させる事で、彼自身の成長を観せると同時に、双方の細かな機微を巧みに表現してみせている。

 しかし、それらを構成する一つ一つのパーツの隙間に、どうにも腑に落ちない点と偏りが見えてしまい、それが作品の根本すらも危うくさせているのは、非常に残念。例えば、九太熊徹と出逢い、バケモノの世界に迷い込む件にしても、なぜ九太にだけバケモノが見え、入り口を通れたのか。いくら家出して警察に追われていたとはいえ、あんだけビビっていたバケモノについて行こうと思ったのか。なぜ17歳になった九太はそこを自由に行き来できるようになったのか。なぜ熊徹は禁忌とされる人間を弟子にしようと思ったのか。そもそもなぜ禁忌扱いされてる人間の世界に、バケモノは好き勝手に行き来できるのか。
 そうした小さな疑問が、一見して堅剛な物語の骨格に錆のごとくまとまりつき、内面から腐食させているように感じられた。中には、8年ぶりに人間界に帰ってきたけど、学力は小学生のまま、といった、リアリティある描写も多く観られるものの、そうしたマイナス面を補って余りあるほどではなく、かえって、他の違和感を浮き彫りにさせてしまっている格好になっているのは、実に手痛い。
チコが人間とバケモノを繋ぐ鍵になっている、長い間バケモノとともに暮らしてきた九太が、仲間として認められた、という解釈もできくはない、が)

 加えて、各登場人物の言動、及び扱いが少々極端な面が見受けられ、本当にコイツはモノを考えて行動してるのか?と訝ってしまう場面もチラホラ。こういう表現は失礼かもしれないが、どこか山崎貴監督作品のような、ストーリーに合わせてキャラクターが配置され、それに従って動いているような感覚。もっと言うならば、最初にこういう話しにしようと決めてから、そこに合うキャラクターを置いていったような。特にヒロインのは、決して嫌いなキャラではないものの、出逢いの場面から最後まで、話を進めるためにポジショニングされたコマという印象しかなかった。

 もう一つ、個人的な見解を言わせてもらうと、冒頭にチラッと出てきた九太の母方の親戚が、終始悪者扱いのまま弁解のチャンスもなかったのが、なんとも気に入らなかった。しかも、九太は駄々をこねて逃げ出しただけで、そのあと何もケジメもつけず、そのくせあの優柔不断な父親とはちゃっかり再会では、ちょっと料簡できない。
 捜索願いを打ち切られている点から、向こうには既に死亡したものと判断されたのだろうが、結局お前らは、テメェの我侭をゴリ押ししただけじゃん、と思ってしまう。そういった点も含め、まだまだ本作には推敲、ブラッシュアップの余地があったのでは。

 批判覚悟で言わせていただくが、どうも同監督は、大人数が一度に動き回る長編映画では、その才能を存分に発揮できていないように思われる。1対1、または数人の少年少女によるエピソードは抜群に上手いものの、他の要素が入った途端、解れや歪みが生じてしまう印象を受ける。
 世間的には、彼を宮崎駿の後継者にとの声のあるそうだが(あ?A野?何言ってんだお前バカじゃないの?)、それこそあんなバケモノはそうそう出てこないし、だいたいにしてタイプがまったく違う。フレンチと懐石料理ぐらい違う。なので一度冷静になって、監督の得意なジャンルで一時間強の短尺作品を製作していただいてはどうか。

 他の多くのアニメ監督同様、細田監督には今後ともご活躍願いたいので、日本アニメ業界各位、どうかご検討のほどを。


 ☆☆☆★★−

 次回作への期待も込めて、ちょっと厳しめにいきます。星3つマイナス!!