「太秦ライムライト」感想


 「5万回斬られた男」福本清三の俳優人生55年目にして初の主演作品。「日本のハリウッド」太秦で、斬られ役一筋に生きてきたベテラン俳優の生き様を描く、ヒューマンストーリー。

 題材からして、福本氏以外のキャスティングは考えられないような、ある意味とてつもなく卑怯な作りながら、しかし溢れんばかりの映画愛と、そこに関わる全ての人々に対するリスペクトが凝縮された、男泣き必至の傑作。

 長年、太秦の大部屋俳優として、時代劇の斬られ役を演じてきた男が、テレビ時代劇の減少と、目まぐるしく変わっていく映画業界の時の流れに翻弄されながら、自分の俳優人生を顧みるという構図からして、否応なく涙腺を激しく刺激。ボロボロの身体に鞭打ち、どんな苦境であろうとも、きっと誰かが見てくれると鍛錬を重ねる姿は、まるで今まで自分が続けて来た事は決して無意味で無価値なモノではなかったと、自らに言い聞かせ、励ましているようにも思え、ためにその成果が様々な形となって現れるクライマックスは、場内のあちこちから嗚咽が聞こえるほどの感動に包まれた。

 また、彼と同じ大部屋俳優や、新人女優、かつての大女優や撮影所の面々といった視点も加える事で、一種の群像劇としての側面も併せ持っている点も高評価。個人的には、本田博太郎演じる演技課長が、若手の厚顔無恥な監督に「うちにエキストラなんていません。みんな、表現者なんです」と静かに、しかしかすかな怒りを滲ませながら言い返すシーンは、胸に突き刺さった。

 さて、大変失礼な表現かもしれないが、察するに彼らは「職人」なのではないだろうか。例えば、野球がピッチャーと4番打者だけでは成り立たないように、外野には外野の、7番打者には7番打者の、そして時に「壁」と揶揄されるブルペンキャッチャーにもブルペンキャッチャーの役割があり、それを全員が十全にこなしてこそ、一つのチームが正しく作用する。

 かつて故・松田優作が、遺作となった「ブラックレイン」の撮影中、仕事の不満を漏らす若いスタッフに「お前達がちゃんと仕事をしてくれるから、俺達も安心して芝居が出来るんだ。つまらない仕事なんてない」と一喝したというエピソードが残っている(もしかしたら微妙に違うかもしれないので、ご存知の方ご指摘願います)。
 確かに、映画には主役が存在し、多くの場合その周りにいる人々はスポットライトの影に隠れてしまうが、映画を一つの仕事と見立てた時、光が当たっている当たっていないに関わらず、それぞれが自分の持てる技術を余す事なく発揮し、はじめて完遂されるものに違いあるまい。その理屈で言うなら、実は主役も斬られ役も、はたまた画面に映らないスタッフもまた、あくまでそういう役割に過ぎないのかもしれない。

 少々ネタバレになるが、ラスト、松方弘樹演じる大物俳優が、主演時代劇の斬られ役に彼を指名したのも、彼の俳優人生最後の花道を用意してあげるのと同時に、この作品は彼なしに完成しないと断じた故と思いたい。どんなに地味であろうと、周りからどう見られようと、この仕事は彼にしか出来ないと人から言わせる事こそ、職人冥利に尽きる。そのための普段の心構えと不断の鍛錬の大切さを、一世一代の圧巻の殺陣を通じ、本作は教えてくれているように感じた。


 一つ苦言を呈するなら、さすがに今時あんな勘違い映画監督と、礼儀知らずなアイドル崩れはいないだろうという点(笑)。実際のところは存じ上げないが、最近では事務所で礼節を徹底的に叩き込まれるケースも多く、また現場でも、ちょっとおかしな真似をすればベテランスタッフから怒声と鉄拳制裁が飛んでくると聞いた覚えが。それ以前に、あんなポンコツどもに仕事回ってこないだろ。
 まあ、世の中にはどうしてこんなヘタなのに、何度も仕事が回って来るんだ?と訝りたくなるような監督や俳優や脚本家も何人かいるし、作品の価値を著しく下げるようなモノではなかったが、少なくとも、刀がCGで「人間50年!ダブルで100年!!」なんて言っちゃう時代劇、絶対観たくない(笑)。てか、「ODANOBU」って何だよ。志村喬三船敏郎両先生がご健在なら、その場で撮影所ごとぶっ潰されるぞ。
 (それだけ、時代劇に疎い連中が適当に撮ってるという、ダメな具体例なのは重々承知。念のため)

 閑話休題

 若干、同時期公開の「イン・ザ・ヒーロー」と被ってしまったきらいはあるものの、あちらが平成版蒲田行進曲とするならば、本作は和製「レスラー」ともいうべき、男の哀愁と積み重ねてきた誇りによりフォーカスした内容で、どちらも共に勝るとも劣らない出来と評したい。

 特撮同様、これからも我が国が誇る映像文化である時代劇を、大切に育み、連綿と守り、良作を撮り続けていただきたい。一ファンとして、お願い申し上げる。


 ☆☆☆☆★
 世界よ、これも日本の映画だ!!星4つ!!