「柘榴坂の仇討」感想


 浅田次郎原作、短編集「五郎治殿御始末」収録の時代短編小説を、沈まぬ太陽若松節朗監督中井貴一×阿部寛主演で映画化。

 浅田次郎ファンを自称する小生だが、残念ながら原作は未読…のはずなのに、部屋の本棚を見ると、なぜか普通に置いてあった(笑)。アレおかしいな、まったく読んだ記憶もないのだが、まさか買うだけ買って、そのまま放置してたのか?そういえば、そんな本が小説・漫画含めて20冊前後あるような気が…。いつか消化せねばならんけど、それには時間が…、うっ、頭が…!!(言い訳)

 さておき。
 桜田門外の変から13年後の明治6年、計り知れない罪と業を背負ってしまった二人の男の視点から、歴史の転換期を描いた本作。
 まず、主人公の一人、藩主である大老井伊直弼の近習を任されながら、暗殺を止められなかった罪を問われ、仇の首を墓前に献上する事を命ぜられた元彦根藩下級武士・志村金吾演じる中井貴一の熱演が素晴らしい。
 命をかけて守ると誓った主君を守れなかった自責と屈辱、そして今は亡き彦根藩への忠誠と胸に、文明開化の時代に丁髷と帯刀のまま犯人の捜索を続ける様は、決して変わる事のない武士としての誇りと矜持の具体であると同時に、過去に囚われ、それ以外の生き方を選ぶ事のできない、滑稽なまでに時代錯誤で哀しい男の慟哭を、体現しているようでもあった。
 終盤、既に仕える藩も罰する幕府も存在しない今、何故そうまでして仇討ちにこだわると問われ、返した言葉は、紛う事なき真実でありながら、自分が費やしてきた13年間もの苦痛が、まったく無意味であったとは享受できない男に、たった一つ残された拠り所のようにすら思えた。

 もう一人の主人公であり、桜田騒動後、名前を変えて車夫として身を隠し続ける下手人・佐橋十兵衛(直吉)演じる阿部寛も、また良い。日本の将来を憂えた故の行動とはいえ、同じく国の行く末を憂いていた御仁を手にかけてしまった後悔を抱えたまま、ひたすら仇討ちから逃れる日々を送る男の、全身に纏わりつく疲労と虚無感を見事に表現。古代ローマ人ばりのタッパと顔の濃さはともかく、金吾とは対極の存在でありながら、実は結果的に二人とも同じ業に取り憑かれていたというアイロニックな結末を、極めて優しい形で昇華させる事にも、文字どおり一役買っていたと評したい。

 個人的には、金吾を妻を演じる広末涼子にも注目したい。つい2、3年前まで、何をやっても「私、可愛いでしょ?」みたいなアイドル臭がどうにも鼻についていたが、私生活でいろいろあったせいか(エー)、いい意味で歳を重ねて「枯れた雰囲気」を出させるようになっており、それが夫を献身的に支えつつも、心の奥底では何よりも生きて帰ってくれる事を願い続ける良妻という役を、より一層際立たせていると感じられた。

 一つの出来事を中心にしつつ、それを取り巻く人々の主張や心境、あるいは信じる正義によって、様々な人間模様を描くのは、やはり「泣かせの次郎」こと浅田氏の得意とするところか。
 これを単純に現代社会に置き換えて、ブラック企業が云々と解釈するのは簡単だが、おそらくそういう事ではないと察する。どんなに時代錯誤であろうと、決してクレバーでなくとも、己が曲げぬと決めた道を愚直なまでに真っ直ぐに進み続ける気持ちを大切にしながら、しかし自分と自分の身近な人のために、赦し、受け容れ、固執を捨てる勇気も、時に必要なのかもしれない。高卒低所得の小生には、この程度の考察が限界だが、それも一つの考え方だろ思っていただけば。

 中には作中の人物にまったく感情移入できず、ネガティブな感想を持つ人もいるかと思われるが、日本映画でもまだまだこうした作品が撮れるのだなと、妙に安心した次第。例によって何が何やらの感想になってしまったが、とりあえず今日はこの辺で。

 ☆☆☆★★+++

 チョイ役で出ていた吉田栄作氏もいい仕事。彼、いつの間にかいいバイプレイヤーになったなぁ。星3つプラス3つ!!


 そういや主演のお二人、この映画でも共演されてるんだよな。片方は死体だったけど(エーー)。