「劇場版 魔法少女まどかマギカ[新編]叛逆の物語」感想
2011年のテレビ放映後、瞬く間に社会現象を巻き起こした人気アニメシリーズの完全新作劇場版。鹿目まどかの願いにより、全ての魔女が消えた世界を舞台に、暁美ほむらたち魔法少女の新たな戦いを描く。
各方面で色々と物議を醸している本作。小生自身、鑑賞後にこれをどう捉えるべきかアレコレと悩み、気がつけば2週間近く放置するという体たらくを晒してしまったが、それでも何か書かなきゃならんと高卒低所得なりに発起し、ない知恵絞って可能な限り書いてみる事にする。
なお、今回は若干のネタバレ、あるいは物語の核心に触れる内容でもあるので、未見の方はご注意されたし。
さて、いきなり本題。本作において善悪という構図は、ほとんど無意味に等しいのは論を俟たないところだが、ここへ来て初めて、自覚する「悪」と呼べる存在が登場したように思える。
いやいやちょっと待て、ならばあのインキュベイターは何なのか、と言う人もいるかもしれないが、ヤツはその名のとおり「支援者」であり、自らが求める対価のために資本と技術を提供しただけに過ぎない。結果はどうあれ、ヤツは自身を「悪」であると認識していない。
翻って、暁美ほむらはどうか。彼女の願いは、彼女が魔法少女になると決意した瞬間から一貫して「鹿目まどかを救う事」。この点に関して、彼女は徹頭徹尾、まったくブレていない。我々がこの上ないと信じていたテレビシリーズの結末でさえ、彼女にとっては何一つ享受し、納得できるものではなかったに違いあるまい。
そんな彼女が、もしかしたら星一つの一生分を越えるかもしれない、永遠より長い時間と孤独の果てにたどり着いた結論は、例え救うべき相手をも欺き、敵対する事になっても、その人の「人間としての当たり前の日常」を取り戻す事だったのではないだろうか。
突然おかしな事を言うようだが、例えば諸兄姉は、何故ショッカーが誕生したのか、考えた事があるだろうか。「仮面ライダー」の敵役である、あのショッカー。世界征服を企むどこかの天才科学者かオーバーテクノロジー所有者が創設した?うん、アレに関しては多分そんな感じだろう。だが、こうも考えられないだろうか。彼らには、悪魔の誹りを受け、正義の名の元に滅ぼされる運命を背負いながら、それでも世界征服を目指さなければならない理由がなるのではないか、と。
まあ、それ自体は単なる妄想であり、単純なエゴイズムだと片付けてしまってよいと思うが、つまり何が言いたいかというと、暁美ほゆらは自身の願いのために、いわば勧善懲悪ストーリーのフォーマットと言える、この「正義VS悪」という図式を受け入れ、そして自らを悪としたのではないだろうか。畢竟、そののちに自らが正義の名の下に、全てを捨てて救おうとした親友の手で討たれる事になると知りながら。
ここまで書いて、ふと思った。彼女にとって、これは本当に幸せな結末だったのか。おそらく、それは愚問である。むしろ、彼女は自分自身の幸せなど、とうの昔に諦め、捨て去っているに違いない。そうでなければ、絶望さえも力に変え、文字通り全宇宙と引き換えてまで、彼女が成し遂げようとした事の説明がつかない。少なくとも彼女にとって、円環の理に導かれ、その穢れた魂を救済される事は、真の意味での「幸せ」ではなかったと察する。
ある意味、究極の自己犠牲にして自己満足とも取れるが、その願いを「愛」と呼ぶには、あまりに幼く、哀しく、そして純粋すぎると、小生には思えた。
こう考えると、この物語はタイトルに反し、最初から全ての摂理と法則と理念に叛逆し続けた、暁美ほむらの物語だったようにも思える。あの子の魂は、今も友の亡骸の前で慟哭した場所に取り残されたままなのかもしれない。
総括するにコレは、物語上の「悪」とされる存在の誕生、さらに言えば「正義VS悪」をその成り立ちから解き明かし、具体化させた、いわば「マイソロジーの再構成と新生」であると同時に、「箱庭」と揶揄される少女達だけの世界を、しかし楽園ではなく一つの作品世界の枠組みとして肯定してみせたモノであると結論づけてみるが、いかがだろうか。
はっきり言えば、完全に一見さんお断りの内容で、予備知識ゼロで臨んでも、何のこっちゃ分からんまま会場を後にする事ウケアイ。仮にテレビシリーズからのファンであっても、難解に感じる部分も多く、正直万人向けとは言い難い。
しかし、話題作である点を差し引いても、間違いなく今後登場する作品に様々な形で影響を及ぼすであろう本作。後の財産と自慢のタネになると思って、どうかこの機会にスクリーンで鑑賞されたし。
ちなみに余談だが、本作を「できるだけ2回以上観るべき」とするサイトさんもあり、個人の判断でそうするのなら小生は否定しないが(ただし、製作者側はそれを強要するのは愚の骨頂。ましてスタンプカードなど恥さらしもいいところ)、中には家から映画館まで車でン時間なんて人もいるだろうし、または年に数回、ないし数年に一度しか映画館に足を運ばない人も少なくはないと察する。
楽しみ方としてはアリだと思うものの、やはり映画は一球真剣勝負の姿勢で臨むのが、作り手への礼儀ではないかと小生は考える。もう一度観るかどうかは、本編を観てから判断しても遅くはあるまい。
ところで、一説によれば既にスタッフ側も続編を作る気満々で、ほむほむ演じる斎藤千和も「これが完結編だとは思っていない」そうだが、実はこういう形で終わらせておく方が、物語としては美しいのではないかと、個人的には思ってしまう。
果たして次回作、あるいは何らかの形で、暁美ほむらが本当に意味で救われる時が来るのだろうか。これからの展開に期待しつつ、できれば某アレよろしく「何回作り直したら気が済むねん!!他に売れるアニメないんかい!!」という感じにはならないよう、お願い申し上げる。
☆☆☆★★++
一番の見所は、マミさんとほむほむのガン=カタ対決(笑)、星3つプラスプラス!!
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