「許されざる者」感想
「悪人」の李相日監督、「硫黄島からの手紙」の渡辺謙主演。第65回アカデミー賞作品賞を受賞したクリント・イーストウッド監督(及び主演)作品を、舞台を明治初期の北海道に移してのリメイク。
ちなみに1960年に公開された、オードリー・ヘプバーン主演の同名作品とはまったく関係ないのであしからず。
さておき。
基本的なストーリーは、オリジナル版とほぼ同じ。かつて黒澤映画の傑作「七人の侍」がハリウッドで「荒野の七人」としてリメイクされたように、元々西部劇と時代劇の世界観は近しい部分も多く、その意味では比較的相性がいいとも考えられるが、ここまで違和感なく、自然に作れるものかと驚く。
それに加え、北海道の先住民族であるアイヌ人や、幕末を経て淘汰されつつある武士達の悲哀をもうまく取り込み、より深く、より細部に踏み込んだ人間ドラマを描く事にも成功してる。念のため断っておくが、これは本作にオリジナルが劣るという意味ではなく、どこにウェイトを置いて撮るかの差、すなわち後述する日本特有の美意識、あるいは宗教観を通して観た結果であり、大統領就任でさえ聖書に手をかざして行うかの国とはそもそも比較するものではない事を、ここに強調しておきたい。
しかし、何と言っても本作の最重要ポイントと言えるのは、渡辺謙氏演じる主人公・釜田十兵衛の内面的な脆さにクローズアップし、あえて無様でカッコ悪く映している点にある。
謙さん自身がイケメンなのは論を俟たないところだが、もちろんそういう事ではない。貧しさに亡き妻との誓いを破り、なし崩し的に再び殺しに手を染め、ボロボロに朽ち欠けた心と身体を引き摺るその姿は、まるで全ての罪と後悔と恩讐を抱えたまま、人として死ぬ事も生きる事も拒否して彷徨う抜け殻。カッコつけや反竹な正義感ではなく、自分の弱さゆえにそうならざるを得なかった男の悲劇。それによって浮き彫られる人の業、矛盾する善悪、どうする事もできない絶望と、ほんのささやかな希望にも似た光。それこそが、本作を単なる復讐劇に終わらせない、冷たくも確かに血の通ったモノへと昇華させている正体ではないかと小生は思う。余談だが錆びて鞘から抜けなくなった刀、馬に乗れないシーンなども、実はその事を示すダブルミーニングだったのかと、後々になって気がついた。
柳楽優弥演じるアイヌの青年や、佐藤浩市氏演じる警察署長、あるいは小澤征悦と三浦貴大演じる賞金首をかけられる開拓民の兄弟、小池栄子と忽那汐里演じる女郎達。その行いを正義と信じる者、悪を征するために悪に徹する者、たった一度の過ちで取り返しのつかない罪を背負う者、抗いきれない抑圧にただただ耐え忍ぶ者、それら全てに、十兵衛は自分を重ね合わせ、密かに身を震わせていたのかもしれない。
果たして、誰が誰を許せないのか。その怒りと悲しみはどこへ向かうのか。そして誰なら、どうすれば、いつになったら許されるのか。それこそが、本作最大のテーマであり、同時に本作が我が国で製作された意義であると、断言したい。時代劇にしては地味な絵が多く、派手なチャンバラは終盤を除いてほとんどないが、それでも映画館で観るだけの価値は充分にある作品。
あえて不満が挙げるとすれば、國村隼氏演じる勤皇志士の長州弁のイントネーションが、どうしても「アレ?」と思えてしまった点ぐらい(笑)。とはいえ氏に限らず、役者陣の演技はどれも非常に素晴らしく、特に若手俳優達の文字通り身体を張った好演にも注目。
なお若干、佐藤氏が悪役に見えないという意見も耳にするが、その辺はおそらく感覚の差なので多分問題なし。ちなみに小生は気にならなかった。
☆☆☆★★+++
あと、これで調子乗って「今度はローン・レンジャーを時代劇にしよう」とか言い出すの絶対やめてね。または逆に「大岡越前を西部劇に」とか言い出したら関係者全員ビンタね(エー)、星3つプラス3つ!!
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